沿革物語

2. 起業はしたが仕事がなかった

あくしゅを起業した山崎泰宏を語る時に、パートナーである小川泰誉の存在は外せない。二人の出会いは小学校時代にまで遡り、以後中学、高校と付き合いが続くことになる。高校時代からプログラミングに興味を持っていた山崎とは違い、小川はプログラミングはまったく行わなかった。

学生時代に山崎が作ったコンピュータゲームで遊んでいた小川は、何とも言い表せない憧れを山崎にいただくようになった。そんな山崎の影響からか、高校の時にコンピュータの仕事がしたいと思い情報工学科に進む。特に起業精神があったわけではない小川は、大学卒業後、自身が学んできたことを活かせる中堅独立系企業のTDCソフト株式会社(以下、TDC)に、SIerとして就職した。中堅ではあるが、同期入社は100人、大手企業からの仕事の受注も多い会社で、小川は順調にキャリアを積んでいった。

そんな小川は同窓会で山崎と再会したことで、転機を迎えることになる。 TDCに就職してから7年目を迎えていた小川はSIerの仕事に愛着を持ちながらも、転職を視野に動き始めていた。しかし、組織のマネジメントに携わったことがない小川を受け入れてくれる企業は簡単には見つからなかった。そんな、くすぶっていた当時の小川に声をかけたのが、山崎だった。「自分を変えたい」という当時の小川の気持ちが行動を後押しし参加することになった。

「どうにかなるだろうと思っていた」と、小川は当時を振り返る。フリーランスになっても良いし、仕事の内容にさえこだわらなければ食いっぱぐれることはないと思っていた。

そんな小川のことを山崎は「一緒に成長したいと思える人物だった」と評する。反射神経が抜群によく、レスポンスが早いうえにプログラミングもできる。それにマネージャーもこなせる能力を秘めている小川は、「器用な人間」と山崎の目には写った。受託ビジネスなど、ユーザーのシステム開発ソリューションには触れたことがなかったが、技術もすぐに身に付けるようになり、山崎のビジョンを明確に理解していた。

信頼できる小川をはじめ5人の仲間を得た山崎は、かくして起業し、IT業界という大海原に漕ぎだした。

2006年7月20日。この日はあくしゅの設立年月日だ。しかし、2006年の時点ではまだ山崎たちは会社員であり、あくしゅのなかでは株主として、アルバイトのように動き回っているだけだった。当時の代表取締役は藤原恵子さん。設立メンバーのお母さんに頼んだ。鉄工所を営んでいた藤原さんに1年間お世話になりながら、山崎は着実に準備を進め、ついに翌年あくしゅの代表取締役に就任する。

「仕事を始めるときには、まず握手をする。実際にはやったことはないけど」と、山崎は笑って話す。実際に手は握らなくても、ビジネスは手と手をつないで展開するものだ。企業と企業、企業と顧客、どのような関係であっても同じことが言える。それが株式会社あくしゅの名前の由来となった。

元々和名が好きだった山崎は、海外に進出した際にかえってダサく響く恐れのある英語を避けた。さらに当時コミュニケーションツールを制作していたことから、みんながひとつになれたらと願いを込め、まるくて柔らかいイメージのある平仮名を選んだのだ。英語で言えば”Hand Shake”。シンプルでわかりやすく、外国人が聞いてもかっこいいだろうと判断した。

社名も決まり、いよいよ動き出したあくしゅ。スタートは東京都稲城市の小さなオフィス。しかし、手始めとなる仕事は何もなく、顧客もゼロ。何もしない日々は9か月間ほど続いたのだった。

資金が底をつくころ、居酒屋で偶然にも居合わせた客から仕事を依頼されることになる。娯楽関連のサイトを運営している企業だった。当時は仕事がなかったこともあり、格安の800万円で請け負ったが、今だと3,000万円くらいが相場の仕事だ。仕事量は非常に多く、ハードな日々が続いた。 このときに得た売上金をもとに、2008年からは仕事の幅も広がり、ツテも含めてさまざまな仕事を受注できるようになる。正社員を何人か雇う余裕も出てきた。

新入社員の教育をしていたのは、主に小川だ。開拓者としての志が高く新規開発に取り組むが金を生み出さない山崎と、その裏でひたすら仕事をこなし金を稼ぐ小川。この構図が長く続くことになる。